方正株式会社

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トップアスリートにはスマートさが不可欠

19.09.05

 

シリーズ トップ対談 河内敏光様

学生時代から日本のバスケットボールのトップクラス選手として活躍され実業団チームでご活躍やアトランタオリンピックなどでは全日本チームの監督も経験され、その後日本初のプロチーム設立にも奔走された河内敏光様、現在はBリーグ 横浜ビー・コルセアーズのゼネラルマネージャーとしてプロチームの経営をされています。
弊社代表取締役社長 管祥紅とは親交がありましたので、今回、そのご経歴やスポーツの観点からのマネジメント論など、スポーツマンらしくテンポの良い対談を行っていただきました。


方正株式会社 代表取締役社長 管祥紅(左)  Bリーグ 横浜ビー・コルセアーズ ゼネラルマネージャー 河内敏光様(右)

 

▶――プロ野球選手への夢からバスケットボールへ――◀

 河内さんは、バスケットボール選手であり、監督とか経営者のお立場でもある。そういう意味ではすごく豊かな経歴を持っていらっしゃると思います。どういう始まりだったのですか?

河内 私は中学2年生までは野球をやってたんですよ。

 野球だったのですか?

河内 当時日本では、プロのスポーツは、プロ野球と大相撲しかなかった。で、うちのお袋と親父が私を見たら・・・

 相談した結果、

河内 たぶん相撲にはなれないなと。

 体つきとかですね。

河内 という夢もあって、小学校の6年生の卒業文集には、「プロ野球選手になりたい」って書いたの。でも中学校に行ったら、僕はリトルリーグでも4番でピッチャーだったにもかかわらず、下手な3年生が試合に出て僕は出られない。

 年功序列だったのですか。

河内 年功序列。それでたまたまですが、我々ボール拾いだったけど、講堂にボールが転がっていったから、それを取りに行った。そしたらそこでバスケットボールの試合をやっていて、僕の同級生が対外試合で試合に出ていて・・

 羨ましい。

河内 羨ましい。それでその同級生に後で「なんでお前、試合に出ている?我々野球は、ボール拾いで、下手な上級生が出ている」と。「いや、バスケットボールはアメリカのスポーツで、うまい人が出るんだ。」ということ言われて、中学校2年からバスケットボールを始めたの。

 野球をやめて?

河内 野球をやめて。それでバスケットやって今があるのだけれども。ちょうど僕は今年で65歳になりました。

 65歳?まだ50歳くらいにしか見えないけどね。


河内 その後、僕は明治大学でバスケットボールをやっていたのですけれども、その当時日本には約400の大学があって、そこで大学ナンバーワンを決める。で、僕が大学1年生の時は1位になった、全国でチャンピオンになった。明治大学が。2年生になったら、今度は六大学のリーグと、その他のリーグに分かれて、僕はもちろん明治大学だから六大学のほう、東大とか立教とかのある、弱いけど伝統があるリーグだった。次、大学3年生の時は、7大学。で大学4年生の時は10大学。だから全国の千何校のトップのインターカレッジの大会で、ずっと勝ったにも関わらず、その他のリーグ戦はその・・

 戦えなかったの?

河内 そう。そういうところでは戦えなかった。でもインターカレッジは全部優勝した。

 1位?すごいですね。

河内 そういうことがあって、なんで自分は、全国の大学の強いところと一緒に試合やリーグ戦できないんだ、ということをすごく不満に思っていた。次に、三井生命(三井生命保険バスケットボール部)に行きました。2006年に今度オリンピックをやる「さいたまスーパーアリーナ」(東京オリンピックのバスケットボール会場)で世界選手権が初めて開催されることになった。けど、世界選手権を開催した国でプロリーグがない国はなかった。だから僕は、バスケットの人たちは、学生時代からそういう思いをしていたから、その意味でも「プロリーグを立ち上げましょう」と訴えた。2006年に世界選手権が来るから、と。で、「やろう、やろう。」と言って、みんながその気になっていたら、最後の最後に、三井生命バスケットボール部が金融のビッグバン等々で休部になっちゃった。

 あらら。

河内 休部なんていうと聞こえがいいけれど、要は廃部ですよ。また業績が上がったからって、一回潰れたらね、「もう一回やりましょう」なんてありえない。「バスケットと仕事ができるから」って行ったにも関わらず、バスケットがなくなっちゃった。
それで、地域密着型のアルビレックス新潟っていうサッカーチームがあるから、そこにバスケットのプロのチームを作ってくれって言われて、新潟アルビレックスBBっていう日本で初めてのプロのバスケットボールチームを立ち上げに行った。それが2000年ですよ。最初は「2005年にはプロリーグになるから、その日本リーグで頑張ってくれ」って言われて。でもアマチュアリーグだから、プロのチームだけれどもプロの仕組みになってないから、お金が出て行くだけ。でも2006年に世界選手権でプロリーグになるから って言われたから、すごく頑張って。そうしたら2004年くらいに「日本では、バスケットはプロのリーグはできない」ということで言われた。で、僕は「何を言ってるんですか?新潟みたいなものを全国に作れば、プロリーグができる」と言って。2005年に日本バスケットボール協会に、「じゃあ、僕が立ち上げます」と言って、『bjリーグ』という日本初めてのプロリーグを立ち上げた。

 それまでにもリーグはありましたよね?

河内 うん。日本リーグ(バスケットボール日本リーグ機構)というアマチュアの実業団リーグ。

 プロリーグではなかったんですね。

河内 そう。だから、いくらチーム頑張っても、お金が入ってくる仕組みではない。アマチュアだから、出て行くだけ。それは会社の福利厚生、広告宣伝費ですし。

 なるほど。でもそうやってプロチームの立上げをされたんですね。すばらしい。



▶――トップアスリートに必要なこと――◀

 ところで、僕らも子どもの頃からいろんなスポーツに親しんできましたけれど、河内さんからご覧になって、プロになれる人と所詮プロにはなれない人といると思うんです。ゴルフでもバスケットでも何でもそうだと思うんですけど、いったい何が違うんですか?夢が違うのですか?それともセンスが違うのですか?身体能力?

河内 昔の、僕と同じ65歳くらいのプロ野球選手もバスケット選手も、これは間違いなく両親から貰った強い体の遺伝子。これがまずは基本。今みたいにスポーツ医科学というのは、発達していないし。トレーナーとか。

 生まれつき強い人じゃなきゃ(笑)

河内 そう。生まれつき怪我に強い、丈夫な体を貰った人でなければ。だから僕は全日本の選手にもなったし、全日本の監督も経験している。だけれども、僕よりも良い選手、能力・運動神経高い選手は、僕の同級生でたくさんいた。だけれども彼らは、怪我が多かったり、厳しい練習をやって耐えられないでやめたり、病気になったり。っていうことで、当時はもう本当に体が強い人が条件。もう何人も生き残れないから、そのトップには。

 脱落していくのですね。

河内 そう、みんな脱落していく。でも今は違う。今はもう・・

 医学が後押しして。

河内 すごい。食事もそうだし、生活環境、トレーナー、もう全部付いているから。今の子どもたちは、自分たちの年代から比べたら。もう野球も、全部のスポーツ、バスケットもそう。全然違ってレベルが高い。

 今と昔を比べても、フェアじゃないので。でもあの時代でも、優秀な人、そうでない人、凡人がいると思うのですが、その違いは何ですか?昔の子どもよりも、今の時代の環境レベルがすごく上がったというのは分かるのですが。今の時代の子ども同士を比べても、良い選手とそうでもない選手、すごい選手とそこそこの選手がいますよね。そこの差というか、能力・才能・レベルというのは、何が決め手だと思われますか?

河内 一つは気持ちの持ち方だと思う。僕はね、地元の中学校から全国で名門といわれる厳しい高校に行った。で、今度はその厳しい高校から名門の明治大学に行った。それはそれは厳しくて。全国から優秀な選手が集まってくるということもあって、そこで生き残らなきゃいけないという状況ですね。僕が京北という高校(現東洋大学京北中学高等学校)に行き、さらに明治大学に行く時には、周りの先生をはじめ、全校生徒が「頑張って行って来いよ。」っていうくらい期待されていくから、もうちょっとくらい厳しくても帰ることはできない。「あいつ、厳しいから、やっぱり京北では、明治では通用しないから戻ってきたな。」って言われたくはないというその・・・

 プレッシャーというかモチベーションというか。

河内 うん、「おたくの息子は、やっぱり厳しいから戻ってきたね。」っていうような事をせっかく行かせてくれた家族に対して言われたくない、そこだけは絶対にできない、というのが半分。
あとは、そうは言ったって、全日本に行く、日の丸を背負うということになれば、大学チームのメンバーでさえ10人いて、結局日の丸を背負えるやつはその中でも1人しか2人しかいないわけですよ。

 一握りですよね。

河内 そう、最後はね。当時もそうだけれども、よく「スポーツバカ」とかって言われたけれども。やはりトップに行く人というのは、「絶対に俺は頑張ってやる」という、この精神的なものが半分と。
あとは、上に行けば行くほど、技術的なことが。バスケットというと、攻撃するオフェンス、守るディフェンス。そこって戦術が10種類とか20種類とかあるけれども、瞬時にしてその判断をできなきゃいけない。だからある程度は学力が伴わないと、コーチや監督が何かを言っても、瞬時に判断できるような、ある程度頭がないと・・

 地頭。

河内 うん。頑張れ頑張れというのは、高校までは全国で通用するかもしれない。でも大学、社会人、全日本になると、ある程度頭がスマートで、ハートが・・・

 今、えらい自慢の話ですね(笑)

河内 いやいや、自慢話はしていない(笑)

 自分は、体だけじゃない、頭も良いっていうのを今。そう言ってますよね(笑)

河内 やはりある程度頭がスマートじゃないと、上まではいけない。だって結局・・・

 確かに、マイケルジョーダンだとかね、すごく賢そうな顔をしていますよね。

河内 だって基本的には、オフェンスもフォーメーションというのは、世界のバスケットボールでもシンプルなのですよ。自分たちがこういう攻撃をしたら、相手はそれを絶対に阻止しようと思って、ディフェンスフォーメーションを変えてくる、シンプルなことを応用できるようでないと、やはりトップでは通用しない。言われたことしかできない選手は、やはり生き残っていけない。

 スマートでない人はね。

河内 そう、応用できないと。だから、そこが分かれ目なのかな、という感じがする。

 中国のスポーツでは、特にサッカーもフォーメーションが多いじゃないですか、人数も多いし。今のお話と関連しますが、中国ではスポーツに行く人たちは、あまり教育を受けないんですよ。だから「体でやっている(幼い)時期にはその違いがわからないけれども。さらに上にいって、賢い相手が出てきた場合には、頭が良くないと勝てない。頭脳が大事だ」と指摘をする人がいるんですよ。中国は弱いじゃないですか。

河内 サッカーもバスケットも球技で、バスケットボールは手を使い、サッカーは足を使う球技ですけど、バスケットもサッカーも、ボールを持っている人をみんな中心に見ている。だけれど、ボールを持っている人からボールが出て初めて、また違う人にボールが行くわけです。だからこのボールを持っている人に対しては、すごいプレッシャーが来るわけです。「オフ・ザ・ボール」というのだけれども、ボール持っていない選手が、いかにスペースを空けるか?という、そこがすごく大切。で、ボールを持っている人だけが頑張っちゃってる、本当のバスケットやサッカーをちゃんと教育されていないと、ある程度を頭が理解していないと、みんなボールの所に集まってきちゃう。だから絶対にある程度の、

 チームワークというか、チームメイト同士のイマジネーションですよね。確かに頭の能力が問われますよね。

河内 そう。自分がいなくなったら、このスペースに誰かがこうに来る。そしたら自分はどこに行くっていう、ある程度イマジネーション、次の展開、その次の展開。将棋とか囲碁と一緒。やはり2手先、3手先を読めるかどうかが大事なんです。

 河内さんは僕と比べるとデカいですけど、あの時代にしても、河内さんの体はバスケットの中では小さいですよね。

河内 小さい。

 頭でやっていたという感じですか?

河内 僕は小さいから、そういう意味では、ポイントガードといって常にボールを運んで。それで大きなセンターとかに、

 うまく使いこなしてあげる。

河内 そう。そういう人たちに、今どういう状況かというのを把握しながら、ボールを渡す。だから大きな選手は、リングの近くでいかにボールをもらってシュートを決めるか、というパターンだけれども。そういう状況で、彼にボールを渡すには、最終的にはどういうタイミングで、どこのポジションからやれば、ミスをしなくていいかな、というところをクリエイティブをするような。だからバスケットのガードというポジションは、コートの中のヘッドコーチのポジションだというふうに言われている。野球でいうとキャッチャー。

 バレーボールでいうと

河内 セッターね。だから、アメリカでも全世界的にそうなのだけれども。バスケットでは、ガードをやっている人のほうがヘッドコーチ、監督になる人が圧倒的に多い。身長が大きいセンターの人よりは、ガードの人の方がそうなる傾向があるね。


▶――スポーツと企業の人材育成――◀

 そういうことで、選手を卒業した後に、コーチとか監督になられたのですね。ガードでやっていたから、視野も、人使いも、人を見る目も、養われているということですね。人材育成という意識って、コーチとか監督をされた時にも、どういう人抜擢していくか?ということについて選手時代の経験を踏まえお話いただけますか。

河内 僕は三井生命の社員だったけれども、1993年~1996年の間、アトランタオリンピックまでは全日本の監督も経験した。バスケットボール日本代表というのは最終的に12名が日の丸を付けられる、ベンチに入れる。このうちの半分はプロ選手で、半分は社員選手だったね、当時。で、僕がアマチュアなのにプロ選手を教えてるみたいな。

 身分でいうと、そういうことですね。

河内 当時はそうだった。しかも僕は仕事をやりながら全日本の監督もやっていたから、時間があまりない。

 本当に仕事があったのですか?会社に出て?

河内 仕事がある。三井生命は9時から5時まで仕事。それは一般の同期と同じ。部下は20人くらいいたから。僕は当時課長だったけれども、20~30人くらいいた。選手も色々な企業に所属している選手から選抜されて全日本ができるわけだから、みんなそれぞれ会社。ある程度、半分、午前中だけ仕事したりという会社とか、色々。その中で、世界選手権とかオリンピックがある、アジア選手権とかアジア大会がある1ヶ月~2ヶ月前に合宿をやったり・・

 集合かけて。

河内 そう。で合宿する。でも、そんなに時間はない。12人全員に河内のバスケットを教え、河内のために頑張る、というようなところまで鍛える時間はない。でも、バスケットって12人のうちガード2人、フォワード2人、センター1人。試合に出るのは5人。なのでどうするかというと、それぞれのポジションで1人を僕が見つける。ガードだとポイントガードとシューティングガードの2人になるけど、12人のうちこの2人だけは、常に練習中から練習終わった後から、「何か問題があったら、お前を注意するぞ」と。全員を注意するほど時間がないから。もうやらなきゃいけないことがたくさんあるから。

 重点対策ですね。

河内 そう。で、フォワードはお前だぞと、センターはお前だぞ、と。そうすると、5人だけ僕の手中に収めちゃえば、12人は必ず動いてくれる。そうすると短期間で一つの組織、チームをまとめられる。できれば5人、最低ガード、フォワード、センターの3人でも大丈夫。そこさえ自分のバスケットを、自分の考え方を、ちゃんと教えておけば大丈夫。これはある意味、小さい会社と同じだと思う。全員を把握しようと思うと、時間がかかってね、いろんな人がいるから大変。

 マネージメントで本が書けるんじゃないですか。

河内 全員を把握するということはしない。その中のリーダーだけに自分の考え方を徹底する。

 適時に指示をしてみんなを動かして結果を出すというのが、リーダーシップという事だと思います。また、選手を変えたりすることも、会社のマネージメントに似ていると僕は思いますが、トップが弱いとうまくいかない時がありますよね。そういうときにダイナミックに結果を出すために、若手使ってみるとか何かダイナミックな変化を与えるとか、そこはどうなんですか?

河内 今は、もちろんバスケットもプロリーグが出来てきて、プロ野球、あとサッカーもそうですが、監督が変わると、その監督の持ち味、色が必ず出てきますね。バスケで言えばすごくシュートがうまい選手がいるチームにディフェンスの素晴らしい指導者の新監督が来ると、そのシュートのうまい選手を切って、ディフェンスの良い選手を入れてくることがある。そういうのが一番変革しやすい。

 要するに、変革はトップから変える。それは厳しい話ですよね。要するに会社を改革しようと思うのだったら、社長を変えたほうが良いと(笑)

河内 そういうことですよ(笑)。普通のちょっとした会社だってそういうことのほうが、改革しようと思ったら早い。

 同じ人はね、どうしても。その通りですね。

河内 会社とスポーツのチームの違いでいえば、会社では日々自分の右腕というか、いわゆるそういう人たちを育成指導するのはやはり社長の腕。仕事の半分はそこだと思ってる。自分が監督だとしたら、自分がいなくなっても、アシスタントコーチが次にそこのポストにいけるような、そういう部下の育成みたいなことはイメージしているね。

 それは大事ですよね。



▶――スポーツとIT、将来に向けて――◀

 僕がもう一つすごいなと思ったのは、河内さんがITに関しても関心を持ってらっしゃることですね。僕らが作ったバスケのスコアアプリ(aiScore)とか、あの可能性が想像できるというのが、今の時代に必要な能力だと思いますね。俗にいうデジタルトランスフォーメーション、要するにITをうまく使いましょうと、ITはすごく良い道具ですよと。使ったほうが教育やトレーニングをもっとうまくできますし。選手の管理という意味でも、科学的にITを使ったほうが良いと思います。その点について日本のスポーツ業界では一般的にはどうなのですか?

河内 今世界的にスポーツ界では、本当に科学的な、医科学的な部分の発達が本当に早い。でもそれを、あまりにもお年寄りの監督、そのチームをずっとやっている監督だと、なかなかそれを受け入れるのは難しいというのが現状かな。

 過去に慣れたほど。

河内 そういう監督さんというのは自分の方針とITや科学で推奨されることが違うみたいなことでそれを受け入れられない人が多いかもしれない。でもそれは正しくなくて、今の時代はまず受け入れる。やってみて、「ここはこうやったほうが、もっと良くなるんじゃないの?」っていうことも返して。初めからダメというのじゃなくて、まず試すということが、すごく僕は大切だと思っている。新しいものを絶対に僕は試すべきだと思う。

 最後に、最近の日本のスポーツ界全般が面白くなってきましたよね。

河内 今はバトミントンも卓球も全部強くなっているよね。

 テニスもね。

河内 そう、テニスも強くなってね。僕は全部のスポーツが、プロとして頑張った選手が残っていける、そういう舞台に日本はこれからなっていくべきだと思っているよ。今までは野球、大相撲、それJリーグができて30年くらい。そしてやっとバスケットがそこに仲間入りしてきた。だから今後は、卓球だとかテニスだとか、そういうものがどんどんどんどん、プロとして、ちゃんと頑張った選手指導、指導者、レフリー、それがちゃんと生活できるようなものになってほしい。バスケットだけじゃないと思う。だから僕が次にやりたいと思ってるのは、今は横浜のバスケットボールチームのジェネラルマネージャーとしてやっているけれども。今度横浜駅前にアリーナができる。横浜っていうところの地域の人と、あとは行政と、あと我々スポーツ関係者が、ユナイテッドといったらいいのかなぁ。色々な競技の、それぞれの今まで頑張った指導者みたいな人が、みんなそこに集まって、それでバスケットは俺が面倒を見る。で、バレーは誰々。サッカーは誰々。みたいな、そういう全部のスポーツを指導できる場所にしたいなと思ってる。そこに行ったら全部のスポーツ、良い指導者の人に教えてもらえる、という場所にできたらいいなぁという。子どもたちにも色々なスポーツを体験してもらって将来、「自分はこのスポーツが一番好きだ」言えるようにしてあげると、もっともっと世界で戦える選手たちが増えるんじゃないかなぁと。

 そういう考え方も場所も増えてきてますよね。プラットフォームを用意する。

河内 プラットフォームをちゃんと用意してあげたい、ソフトと一緒に。そうすると、いろんな競技の体の使い方、筋肉の使い方、栄養、何を摂ったほうがいいとかって指導者も勉強して成長するし、子どもたちも成長するし、地域も活性化する。で、そこにそれぞれトップチームのプロの選手が、

 時々試合をしてくれる、「私が見本を見せてあげる」ってね。

河内 そう、そういうチームがあれば、子どもたちもそれに行って頑張れる。小さいジュニアから、「トップチームに行きたい」というふうになってくると、うまく繋がっていくのかなぁ、みたいなね。

 いい話ですね。これから日本もどんどんスポーツが盛り上がって、どんどん強くなっていくのでしょうね。

河内 そうね。やはりオリンピックがあるというのはそういうことですね。

 もう来年ですからね。あと1年ですから。

河内 2020年東京オリンピックって、6年前に決まったよね。そこからそれぞれの競技団体が強化され、今メダルを取れる競技団体・個人が増えてきたというのは、すごいことだよね。でもこれも2020年で・・

 もう終わってしまうから。

河内 どこの国も、オリンピックが終わっちゃうと、そういうものがちょっとまた下火になってきちゃう、というのが現実ですよね。それを継続していけるようにしていきたいよね。

 うちの宣伝でもあるのですけれども、方正も今社員みんなにスポーツを奨励していまして、毎月やっているんですよ。卓球とか是非いらしてください。

河内 管社長、ズルするからなぁ(笑)

 ズルはしないですよ(笑)

河内 急にパーンとサーブを打ってきたりさ、まだ構えてないのに。

 はは(笑)。卓球とかバトミントンだとか毎月やっていますよ。

河内 そういう、仕事は仕事で、コミュニティというか。良いですね。

 オン・オフですよね。今日は大変ありがとうございました。



 
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河内敏光様略歴
京北高等学校から明治大学に進みインカレなどのタイトルを獲得
大学卒業後は、三井生命保険バスケットボール部入部し、全日本チームなどで活躍
現役引退後も三井生命チーム、アトランタオリンピックとユニバーシアード福岡大会の日本代表監督を歴任
2000年3月 新潟アルビレックスBBの運営母体企業社長に就任
2005年 bjリーグのコミッショナーに就任
2014年6月 日本バスケットボール協会理事に就任
2016年7月 B.LEAGUEテクニカルアドバイザー就任
2018年9月 横浜ビー・コルセアーズのゼネラルマネージャーに就任
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